演劇部の友人と『幕が上がる』を観て

映画に、自らの創作活動と演劇する友人たちを重ねて

松永侑くん 久留米大学附設高校映像研究同好会(福岡県立伝習館高校3年)

(PFFアワード2014で入選した橋本将英監督作品『流れる』で、撮影・録音・編集を担当)

以前、PFFアワード2014入選作品『ガンバレとかうるせぇ』の講評を書かせていただいた、久留米大学附設高校映像研究同好会(以下附設映研)の松永侑です。今回は、ももいろクローバーZ主演の、高校演劇を題材にした映画『幕が上がる』の映画評を書くことになりました。


映画『幕が上がる』より (C)2015 O.H・K/F・T・R・D・K・P ■配給:ティ・ジョイ/配給協力:東映 
映画『幕が上がる』より (C)2015 O.H・K/F・T・R・D・K・P ■配給:ティ・ジョイ/配給協力:東映 

 今回は、はっきり言って私はあまり乗り気ではありませんでした。以前の映画評で商業映画批判ともとれる持論を展開していたから、というのもあります。それにアイドルが苦手な私が観るにはきつい映画だなと思いました。そこで私は、一人で観に行くのは気が引けるので、演劇経験者、なおかつ去年茨城県で開催された全国高校演劇大会で優勝を果たした、久留米附設高校演劇部部員の樽見啓と中村光汰を誘って『幕が上がる』を鑑賞しました(樽見は、私たちが制作し、PFFに入選した映画『流れる』主演の彼です)。

 

「創作」の理想例

『幕が上がる』は前述のとおり高校演劇を舞台にした物語です。あらすじは簡単、地方の高校の演劇部員たちが、様々な人との出会いや経験を通して成長し、全国大会出場を目指すといった話です。定番を踏襲していて、映画全体としては当たり障りがなく、かなり観やすかったのではないでしょうか。

この作品には、演劇経験者でなくとも、何かを創作している人ならば誰だって共感できるようなシーンが多くあり、そこには、「創作」という行為に対しての普遍的なメッセージが込められているようでした。一言で「創作」といってもその形は多種多様、定義もすごく曖昧なのですが、「一から何かを作る」という点に関してはどんなに定義の風呂敷を広げても変わることのない、創作の基本でしょう。この映画、その点を割としっかり描写出来ていて好印象でした。

地区大会の前に部員たちは自主公演で、家族をテーマにした短い劇を各々が披露するのですが、ここに至るまでの過程が特に丁寧に描かれていました。家族のことを演劇にするのですから、自身のバックグラウンドが大きく関わってくるのは言うまでもありません。部員の家庭の事情は様々。片親というわりかし重い事情を持つ人も。そこをどう演劇にしていくのかというところが見ものでした。部員同士で意見を交換し合い、顧問に細かい演技指導を受けつつアイディアを凝らし、劇を作り上げていくのです。このような制作陣の連係プレーが、私の目指す「創作」の理想例です。「流れる」の制作もこんな感じだったので、きっと上手くいったのでしょう。

映画『幕が上がる』より。「銀河鉄道の夜」の劇の練習
映画『幕が上がる』より。「銀河鉄道の夜」の劇の練習

さて、そこからの自主公演本番のシーンはなかなか感動的です。そこで彼女たちのバックグラウンドと、そこから作り出された劇を見せることで、彼女たちの人間像がよりはっきりしていきます。たとえば片親の娘の劇なんかは、別に暗いものではありません。むしろ明るく、前向きな内容なのです。そこから、その娘のキャラクターが一層つかみやすくなります。前年は地区大会で敗退、新入生歓迎行事で披露した『ロミオとジュリエット』は大失敗。そんな弱小校の部員たちが作品の中で初めて日の目を見るのがこの自主公演なのです。これを皮切りに、演劇強豪校からの転校生を新入部員として迎え入れたり、東京で合宿したり…。彼女たちの躍進が続いていき、最後には念願の県大会出場を果たすわけです。ここだけ聞けば青春、ただ青春なのですが、この中にも、部として上手くまとまらない時期や、人間関係の拗れ、受験と演劇を天秤にかけて果たしてどちらが大事なのかという葛藤。華々しく見える彼女たちの功績の裏にも、いろいろとあるわけです。そんな精神的な苦労のほかに、劇で使う小道具を一から作っていくシーンや、上演前限られた時間内で舞台の準備をするシーンなど、様々な高校演劇の「リアル」を垣間見た気がします。

 

友人の苦労と情熱を知る

昨年2014年、全国大会で優勝した久留米附設高校演劇部。その時の演目は『女子高生』。2014年9月にNHKの「青春舞台」という番組でノーカット放送されていたので、ご覧になった方も多いと思います。(『幕が上がる』で全国大会のシーンでは、実際に去年のいばらぎ総文の様子を映した映像が使われています。そのなかで、『女子高生』の映像も短いながらありました。)

私が、『流れる』の撮影などで活動を共にしていた附設映研には、3人の演劇部員(樽見啓・中村光汰・橋本将英)がおり、そのうち樽見と中村は『女子高生』に出演、さらに中村は当時の演劇部部長を務めていました。私は彼らと学校が違いますから、演劇部の情報を知るときと言うのは「地区突破した。」「県行った。」「九州大会です。」といったような端的な情報を、樽見がたまに教えてくれるときのみでした。ですから、彼らが一昨年の地区大会から昨年7月の全国優勝に至るまでの道のりは、割とトントン拍子に見えました。そんなわけで、栄華を極める彼らと、私のどうしようもない現実を比べて、私の中で漠然とした劣等感が湧き上がることが幾度となくありました。

しかし、『幕が上がる』を鑑賞して、この劣等感は全く見当違いの感情であると気付かされました。私は、彼らの裏の苦労を全くもって知らなかったのです。それこそまさに『幕が上がる』のような葛藤が、あったはずです。思い返せば樽見はいつも遅くまで練習し、夜10時ごろに帰宅していました。そんな状況下で捻り出された「九州大会です」のような言葉の真意を、私は汲み取ることができていなかったのでした。テレビで観た彼らの演劇は、洗練されていました。舞台上に、作られたモノではなく、実際に学校の質感がある。そんな空気感を作り出すあの一つ一つの所作に、いったいどれだけの時間と思いが籠っていたのでしょうか。計り知れません。頭が下がる思いです。


松永侑くん
松永侑くん

そんな彼らも、昨年で演劇部を引退してしまいました。そう、勝ち上がれなかったのです。惜しくも県大会で敗退してしまいました。その時初めて樽見から、演劇にかけていた情熱のことを聞いたような気がします。いつもヘラヘラしている彼ですから、落ち込んでいるのを見るとこちらの心にも来るものがありました。中村は、自分たちの代で結果を残せなかった、結局は先輩たちが優秀だっただけ、と非常に悔しそうでした。また、私が通う伝習館高校演劇部も、この県大会で敗退しました。

書いていて思い出したのですが、私は確か伝習館高校演劇部のために小道具を作ったのです(美術部だったということもあって)。それは劇中で使う紙芝居ですが、思い出すのも憚られるくらいのきつい仕事でした。初めは地区大会用に描いたのですが、県大会出場が決まるや否や新しい紙芝居の追加や微調整を依頼され、毎日夜遅くまで描きました。そこで、演劇部が県大会に挑む姿勢がどれほど真剣であるかというのを、何となく感じ取ったものです。『幕が上がる』でも「県大会は地区大会の完成度のままじゃ勝てない。」と誰かが言っていましたが、まさしくこういうことなのでしょう。


映画『幕が上がる』より。本番前、円陣を組んで心をひとつにする演劇部員
映画『幕が上がる』より。本番前、円陣を組んで心をひとつにする演劇部員

映画の中のお話ほど簡単じゃない

ただ、『幕が上がる』がすべて現実の高校演劇に即しているわけではありません。あくまで映画なので当然です。演出も多少ドラマ仕立てにしないと、飽きられてしまうので、すべてを完璧にリアルにというのは当然無理でしょう。それを踏まえて、中村は鑑賞後こう言いました。

「演劇でチームをまとめるのはあんなに簡単じゃなかった。てか結局俺たちは、まとまらなかった。」

この言葉に含まれる彼の真意は如何なるものか、それは上手く汲み取れませんが、全国優勝を果たした所でさえ、すべてが好条件だったわけではないようです。

 

それでも『幕が上がる』には、一本取られたという感じです。アイドルモノ、青春モノ、と先入観を持って観てはいけませんね。キャラクターにしろ、演劇にしろ、非常に丁寧で緻密な描写は秀逸そのものです。ももクロの演技もなかなか良かったので、アイドルにありがちな大根演技を免れ、演劇のシーンにも違和感なく溶け込めていました。バラエティに富んだ素敵な映画です。ぜひご鑑賞ください。


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