大学の先生vs.高校生

日本は学歴で分断されている社会

自分の属さない世界を知ってはじめて社会で実践できる

お話しする人:吉川徹先生 大阪大学人間科学研究科人間科学専攻 准教授
聞く人:河西浩史朗くん(都立両国高校1年生)、辻野美紀さん(都立戸山高校3年生)
 

ミッキーマウスの中を丁寧に見る社会学

吉川:教育格差という話があるよね。指導している大学生たちもそれなりに考えているのだけれど、そんなとき、「お金のない人が大学に行けない問題のことです」ってすぐに言っちゃダメだよと言うの。

 

河西:うーん、でもそれは難しくないですか?結局、高校でも大学でも行くのにもお金かかるし、お金以外って言われても。

 

吉川:お金があればみんな大学に行きたいって思うかな? 「大学?もうダルイよ」とか、もうこれ以上試験受けたくないよ、って子が。

 

辻野:そうか、そう考えると面白いですね。行けるんだけど、行かない学生もいるってこと。

 

吉川:一番表面的で分かりやすいのが、お金の話だってことなんです。でもそこには、お金では解決しきれない問題があるでしょ。社会学はお金じゃない部分が得意なんだ。
ところで、ミッキーマウスってさ、知ってる?

 

辻野・河西:え?

 

吉川:君たちは知らんと思うけど、あれはな、中に人が入ってんねん。

 

河西:え、違いますよ(笑)。

 

吉川:そういう話をすると、夢を壊すというじゃない。でも、表面のみんなが見ているものを剥いで、中の仕組みを見るのが社会学なんよ。だから、「これはミッキーでしょ」というのは、さっきの話でいうと、お金の表面的な話しか考えていないのと同じことなの。同じように、女性が仕事で不利な扱いを受けることに対して、ただ「女だから」と答えるのでは解決にはならなくて、そこにも複数の要因があって、中身を丁寧に見ていくと、本質としてみんなが気付かなかったことが見えてくるんよ。

 

私の研究というのは、日本社会の人口ピラミッドのデータをコンピュータの中に集積して、日本社会はこうなっているんだと分析するわけ。それを男性と女性とか、正規と非正規とか、高卒と大卒とかを分けて分析する。

 

ともすれば、自分の感情っていうものがあるから、こういう人がかわいそうだとか、助けなきゃいけないとか、そうやってすぐに結論を出しそうなところをグッとこらえて学問にする方法だ。私はその上で、みんなにわかりやすく話をするんだ。でも、データから出てくる話しかしないよ。

 

60万人はミルフィーユで、60万人はスポンジ

吉川:そうやって私が見つけたのは、大人の世界の地位の上下をみるとき何が大事かというと、学歴だという話なんです。


河西:学歴というと、履歴書に何年に○○大学卒業って書くとか、学校の名前のイメージしかありません。


吉川:多くの日本人が考えている学歴は、河西君の考えている学歴とは違うんだ。何年生まれ?


辻野:1994年生まれです。


吉川:その94年生まれというのは、一生変わらんよね。その人たちと小学校に入ってからずっと争ってきて、その結果が慶應大学だとする。だけど、何人で争ってきたか知らんのやろ。それは、普通に生活している視点はあるが、社会全体を見る視点はないってこと。


君たちの世代の人口は120万人。そこで「お、慶應すごい」というのがわかるのは人は実は60万人ほどしかいないんだよ。なぜかというと、大学進学する人しか、慶應の偏差値がすごく高いって知らないからなんだ。河西くんの言う、「学歴は大学名ですかね」というのは、実はデフォルトが「大学は行くでしょ」ってなっている人のものの見方なんだ。


120万人の半分の60万人は大学の名前の通りの良さを競っていますよってなってて、あとの半分は大学の名前なんて関心ありませんってなってる。それを私は発見したんです。日本の学歴っていうのは洋菓子のようになっていて、下半分がスポンジケーキで、均質。だけど、上半分は食感が全然ちがうミルフィーユで、ずうっと層になっていて、それが予備校が出してくれる難易度ランクなわけだ。ミルフィーユにあたる大卒層の人たちにとっては、学歴はミルフィールの何層目にいるかという大学名を意味するけど、スポンジのところにいる人たちにとっては、ミルフィーユとスポンジの大きな区別だけにしか興味がない。


私は学歴社会のかたちがスポンジとミルフィーユみたいに分かれていることを発見して、それを「学歴分断社会」とよんでいます。

 

日本は学歴で境界線ができている

 

辻野:先生のおっしゃる分断社会で、問題が起きていることはありますか?


吉川:私が一番問題だと思っていることは、みんなこの仕組みに気付いていないということなんだ。人生が不安定なのは誰かとか、非正規雇用になりやすい人は誰かとか、離婚しやすいのは誰なのかということを考えていく時に、「お金のない人」と答えれば、「確かに」と貧困問題につなげられるのだけれど、それだけでは、どうしてその人がそこに行っちゃったのかという本質を見失う。それがさっきのミッキーのたとえ。就職しにくい人とか、途中で辞めてしまう人とか、「それって誰」っていう時に、言いにくいけど、履歴書に大学卒って書けない人なんじゃないということになるでしょ。「それ言ったらアカンやろ!」って一瞬ためらうかもしれないけど、事実の根源にあることだからちゃんと言わないとだめ。仕組みをわかった上で、じゃあどうするかということを考えないとね。


辻野:今後も学歴重視みたいな社会は続いていくと先生はお考えですか?


吉川:それは辻野さんが4月から行く大学をつくった福沢諭吉と関係の深い質問だね。『学問のススメ』ってあるでしょ。それまでは士農工商とあって、生まれた家で人生が決まっていたのを、努力するかしないかで、人生決まるようにすべきだと言ったんだ。明治時代は努力次第で人生が決まる今の社会の始まりなんだ。それから「努力って要するに学歴でしょ」、という考え方が日本ではもう6世代も続いてきている。だから、もうこれはすぐには直らない。他の国には行ったことはあるかな?


辻野:観光でなら。


河西:行ったことはないです。


吉川:それはぜひ行った方がいい。行ったらわかるけど、世の中の豊か、貧しいとかの境界線がすごいはっきりしている国もあるんだよね。乗るバスが違うとか。黒人か白人かとか、宗教の違いとか、深刻な社会問題もあるわけ。でも、日本は、見た目では、そういった境界はわからない。


河西:確かに。


吉川:だから福沢先生のつくった学歴でチャンスの多い少ないを分ける仕組みが威力を発揮する。でも、この学歴分断の状態っていうのは、大卒学歴を持っていない人にとっては自分の上にある「ガラスの天井」みたいなものになるんだ。その上の係長とか課長とかには、一見なれそうにみえて、なかなかなれない。


この仕組みが簡単に変えられないものだとすれば、今やらねばならないことは、みんなが大学に行けるようにしなきゃならないと考えることではなくて、大学に行かないという人生を確信して選んだ人たちが不利にならないようにすることなんです。大卒層だけが収入や仕事を得るチャンスなどを取り過ぎないようにしないといけない。

 

同世代を生きて、「関係ない」とはいえない

吉川:恐らく、君たちは滅多に、大学に行かない人たちと話す機会はないよね。


河西:高卒で働く人とは恐らく。


吉川:でも、さっき言ったように大卒の人の人生をよく知らないし、興味もないというような人が、理屈上は半分いるんよ。そういうところを、大卒生の狭い価値観を押し付けて見るんじゃなくて、自分の世代全体を見渡すように心掛けないといけない。


それは、例えば、ユニクロで新しい商品を開発するということと一緒なんよ。めっちゃ売れるフリースとかダウンジャケットとか、顧客みんなの気持ちがわかってないと開発できないよね。社会の一部の人しか見ていないと、一部の人をターゲットにしたものしかつくれないよ。


そういう意味では、日本社会ではミルフィーユとスポンジがセットなわけだからそれを一緒に食べなあかんねん。君たちは80歳まで同世代の120万人で学歴や仕事を競っていく。結婚するのもその前後の人になるし、その後、競い合うように子育てもする。一緒にずっとやっていくんだ。だから「あいつら関係ないし」とは言えないわけ。例えば、自分ら関西やから3.11関係ないしとはだれも言わないのと同じように、自分の生きている社会全体を自分のこととして考える必要がある。高齢の人たちと子どもというのも理解し合わなきゃいけない。


自分が絶対に行かないであろう世界について知っていてはじめて共感するとか、助けるとかいうことが、つまり社会に働きかけるということができるんだ。

 

「軽学歴」では人生の基礎をしっかり、「重学歴」の学びは選択で個性を伸ばす

河西:先生は、本の中で、「重学歴」と「軽学歴」という言葉を使っていますね。


吉川:みんな大学に行くっていう建前があるけど、こういった見かたを改めるために、私が考えた造語が「重学歴」と「軽学歴」という言葉なんです。日本の高卒って世界の基準では、高学歴の部類なんだよ。マレーシアとかでは高卒でも、小学校の先生になれるんだよ。だから、高卒を低学歴って望ましくないものように扱うのをやめようと。実際に、軽い学歴だと、いいこともあるやん。やりたいことが決まっていて、それには4年間大学行くのが無駄だとわかっていれば、最短距離でそこに行ける。日本のエースとしてWBCで先発完投したり何億円も稼いだりしたければ、大学なんか行かずに、田中将大投手や前田健太投手みたいに高卒の18歳で東北楽天や広島カープに入団するほうがいい。


辻野:私も含めて、なんとなく大学に行く人が多くて、それよりも絵が好きで、その専門学校に行く友人がいるんですが、そういった人は実践的で、すごいなと思います。


河西:僕は、会社に入ってセールスマンになるんだったら、会社に入って営業の仕方とかを一から学ぶのではなくて、そういったことを学べる大学とかに行く方がいいような気がします。


吉川:そうだね。例えば河西くんの人生には、22歳まで、どんな技術をいつまでに身につけるか自由な選択の時間があると思うんだよね。でも、世の中の半分の人は、18歳までに80歳までの間に使うスキルを全部持っておかないといけないわけだ。職業的な力も必要かもしれないけど、やっぱり基礎的な力が必要。


河西:でも、そういった基礎的な能力って中学校まで、つまり義務教育までに身につけるってなっていたんじゃありませんでしたか?


吉川:そうだね。いいところを突いたね(笑)


河西:仮に、その技能を身につけたとしたら、僕たちも高校に行く必要もないんじゃないかと思うんです。中学出て働けるように、働くための技術を身につける施設をつくらなければだめなんじゃないかと思うんですが。


吉川:そこはいまの制度を理解しているという点では完璧です。でも、システムをつくっても、人はそのまま動かないものなんよ。今は、98%は高校に行くので、実質高校までが義務教育。だから、その最後の3年間を多様化して個性を伸ばすということはなかなか難しいことなんだ。


そのような多様性を保障するためには、15歳の時点で自分で人生を選んでいくという判断力もいるしね。実際に現状では中卒後も多くの人たちがだいたい同じ形の教育をする普通高校に18歳まで行って、その後大学に行くとか、技術をつけるために2年間専門学校へ行くとかという形に分かれていくようになってるよね。もちろんそれを大きく変えることは不可能ではないのだけど、そういった何世代もやってきたことを変えたとして、それがうまく機能しているかは一世代くらい経ってようやくわかるんよね。最低25年はやらないとダメで、その制度のなかで育った人がどういう大人になったかということを見ないと。それもデータ分析しないといけないね。

 

左から 辻野さん、吉川先生、河西くん
左から 辻野さん、吉川先生、河西くん

■対話を終えて■

 

河西:自分の中で絶対的な固定概念がありましたが、先生と話してそういう部分を考え直すきっかけになりました。僕自身の考え方の変化の兆しになったような気がします。今日はお話しできてよかったです。


辻野:学問と実践の違いということが、話を聞くにつれ整理されていって、大学の学び、社会学の学びについて知ることができてとても面白かったです。学歴については、思いなおすことが多かったです。


 

吉川:お二人にとても役に立ったようでよかったです。私の人生はもう変えられない(笑)けど、でも本当は、自分が15歳くらいの時に戻って、その自分にお二人に話したようなことを伝えたいのかもしれませんね。本日は話ができてこちらこそよかったです。

 

プロフィール

吉川徹(きっかわ・とおる)

大阪大学大学院人間科学研究科 准教授


1966年生まれ。学歴社会や格差などを研究。主要著書として『学歴・競争・人生 -10代のいま、知っておくべきこと』(2012年、日本図書センター)、『学歴分断社会』(2009年、ちくま新書)、『学歴と格差・不平等-成熟する日本型学歴社会』(2006年、東京大学出版会)、『学歴社会のローカル・トラック -地方からの大学進学』(2001年、世界思想社)などがある。

 

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