カメラマンがみた被災地・東北

vol.1 津波で打ち上げられた共栄丸、大漁旗の海へ

脚立に座っているのがカメラマンの平林さん
脚立に座っているのがカメラマンの平林さん

2011年春、気仙沼の伊藤雄一郎さんは、瓦礫と化してしまった気仙沼の街の中から、泥にまみれた大漁旗を集めてまわりました。その数500枚。それらを川の水で洗いました。「この街はいずれきれいになるだろう。その時になにも残っていなかったら、淋しいだろ?」と言う伊藤さんは、以降、ことあるごとに大漁旗を街の至る所に掲げ、気仙沼の復興を願う活動を続けています。伊藤さんはこれを「祈り」と言います。

 

この船は、第十八共徳丸。解体か保存かを巡って様々な議論がされて来ましたが、先日、解体することが決定したそうです。

 

先日、気仙沼で、伊藤さんと話をしているときに共徳丸の話になりました。「解体されてしまう前に共徳丸を海に戻せないか」と。しかし、この大きな船を本当に海に戻す事など、簡単にはできません。僕たちが考えた「海」とは、漁師さんたちの想いのこもった、大漁旗の海です。ありったけの大漁旗を持ちこみ、それらを船の周りに並べます。


解体か保存か、どちらが正しいのか僕にはわかりません。しかし、共徳丸は、ただそこにあるだけで、震災や津波というものを、通りかかる人々に伝えていました。今、この船が、この場から消えようとしています。しかし、津波が、500m以上離れた海から、この大きな船を運んで来たのはまぎれもない事実です。

 

はじまり 

僕の仕事は写真を撮ること

 

2011年4月、東日本大震災から1ヶ月後。僕は東北の被災地に向かいました。「自分が行っても何もできない」、「邪魔になるだけかも」という自問自答を散々繰り返した末の行動。


しかし、自分がこの未曾有の大災害に際してなにもしないでいたとしたら、近い将来、絶対に後悔するのではないか?
 
午後10時過ぎ、車で常磐道を北上し、いわき市が近づいてくると、電光掲示板に「常磐道広野?災害通行止め」の文字が眼に入ってきました。福島第一原発の事故により、広野から先には立ち入れなくなっていたのです。暗い高速道路上で出会うのは、自衛隊や、「災害支援車両」と書かれた車ばかり。普段見慣れた高速道路は、今晩はまったく違って見え、自分がこれから東北の被災地に飛び込んでいくことが、緊張感や恐怖感と共に事実として僕にのしかかってきました。

 

この道路の先では、何千人、何万もの人が亡くなった。怖い。
しかし、これは他人事ではない。なんでもいい。自分ができることをやろう。
  

夜通し車を運転し、僕は宮城城県東松島市に着きました。

なんだこれは。。。?

はじめて見た津波被害の跡は、想像を絶するものでした。
これは、現実だろうか?ここまでやられる筋合いはあるのだろうか?
言葉が見つからない。建物は跡形もなく壊れ、地面は隆起し、ありとあらゆるものが散乱している。水面は上昇し、渦を巻いている。そして、なにかが腐ったような凄まじい臭い。驚き、悲しみ、怒り、いろいろな感情が一気にこみ上げてきました。

 

このやりきれない気持ちはどうしたらいいのか?
このまま逃げ帰るのか?
考えれば考えるほど答えが逃げて行く。

 

そして、僕は瓦礫撤去のボランティアに参加しました。
目の前の現実は、実際に自分がそこに立っても、受け入れることができません。自分の理解を越えてしまったため、気持ちが追いつきません。
ただひたすら目の前の瓦礫を撤去していきます。

 

数日が過ぎたころ、地元の人に聞かれました。


「兄ちゃん、仕事なにやってんの??」

 

「カメラマンだけど。。。」

 

「おい、カメラどうしたんだよ?!なんで写真撮らないんだよ?これを撮って、もっとみんなに伝えてくれよ!」

 

カメラは持ってきていたけれど、ずっと車のトランクに入れたままでした。
この場で写真を撮ることがあまりに不謹慎な気がして、カメラを手にすることもできなかったからです。

  

「それがおまえの仕事じゃねえかよ!」

 

なにかをしなくてはならない、と思って出かけた東北。
自分にできることはなにか?それは、この、プロとしてやっている「写真」なのかもしれない。

そして、僕は、カメラを手に取り、東北を、日本、そして世界に伝えることを始めました。

 


このフォトエッセーでは、僕がみた被災地の様子を高校生のみなさんに伝えます。みなさんが何かを考えるきっかけにしてくれたらうれしいです。

被災地に昇る太陽をテーマとした写真は、『ポスト3.11 変わる学問』(朝日新聞出版)の表紙にもなった
被災地に昇る太陽をテーマとした写真は、『ポスト3.11 変わる学問』(朝日新聞出版)の表紙にもなった

プロフィール

平林克己(ひらばやし・かつみ)

カメラマン

 

東京生まれ。大学在学中より撮影を始め、卒業後に渡欧。オーストリアの首都ウィーンを拠点に、冷戦後のルーマニア、ブルガリア、チェコ、ポーランド、ユーゴスラヴィア等の東ヨーロッパ諸国を駆けまわる。その後パリに拠点を移し、20世紀末まで活動。 帰国後、外資系の商社勤務を経て、カメラマン再始動。2007年、Studio KTM設立。東京都内を中心に、商業分野での写真撮影に携わっている。


2011年3月の東日本大震災後、石巻、仙台を中心としたボランティア活動に尽力するかたわら、被災地に昇る太陽をテーマとした写真を撮り続け、写真集「陽(HARU)」(河出書房・2012年)を出版。 写真展は、震災1周年の2012年3月の東京を皮切りに、神戸、岡山、パリ、ブリュッセル、ベルリンと世界各地で開催されている。

わくわくキャッチ!
今こそ学問の話をしよう
河合塾
ポスト3.11 変わる学問
キミのミライ発見
わかる!学問 環境・バイオの最前線
学問前線
学問の達人
14歳と17歳のガイド
社会人基礎力 育成の手引き
社会人基礎力の育成と評価