2016ひろしま総文 自然科学部門

かつて地元にあった「山梨の海」に思いを馳せるロマンの研究

【地学】山梨県立都留高校地球物理部(地学班)

左から 小林由弘くん(3年)、古屋大志くん(3年)
左から 小林由弘くん(3年)、古屋大志くん(3年)

■書いてくれた人

古屋大志くん(3年)、小林由弘くん(3年)、藤江凌也くん(3年)

■部員数

3年生3人

 

岩殿山を構成する岩殿山礫岩層の礫の方向性から古流向を探る

かつてあった「山梨の海」

山梨県の東部地域は、かつて海が広がっていました。

 

その海に、かつての日本列島で侵食された礫(粒の直径が2mm以上の砕屑物のこと。粒状のものから塊状のものまであります)が堆積しました。礫が堆積するときに流れがあると、礫がある一定の方向を向くインブリケーションが見られることがあります。

 

これまで私たち地球物理部は、富士河口湖町から上野原市にかけての桂川の北側に分布する桂川礫岩層の調査を行ってきました。これに属する岩殿山礫岩層の礫には、インブリケーションが見られました。これは堆積当時の流水の方向(古流向)を示すものです。これに興味を持ち、岩殿山礫岩層の古流向を調べようと考えました。

 

岩殿山は山梨県大月市にあり、標高は634m、花崗岩地形のように切り立って見える岩肌は、走向がほぼ東西方向の礫岩層となっています。

調査地域の地質図は下図の通りです。桂川礫岩層は、北側の小仏層群と南側の丹沢山塊に挟まれています。岩殿山礫岩層の礫は円磨度(礫の円味を帯びる程度)が高い海浜礫で、礫径は20~50mmほどです。礫は砂岩が主体ですが、泥質岩やホルンフェルスも見られます。それらの起源は小仏層群です。礫岩層の下部は、丹沢山地起源の石英安山岩層で、その上位に岩殿山礫岩層が崩れた崖錐が見られます。中腹から山頂までは中新世後期に堆積した岩殿山礫岩層の露頭が見られます。 

14カ所での撮影から見えてきた「流れ」

調査の方法を述べます。調査は岩殿山の南斜面の14カ所で行いました。

 

調査に際してはまず、露頭の走向方向が南北・東西・水平方向に見られる写真を撮影し、礫の長径方向がどちらを向いているか観察しました。

 

しかし、都合よくそれらの方向に向いている露頭は少ないので、南北及び東西方向については15度以下、水平方向については20度以下の誤差の露頭を見つけ、写真を撮影しました。

 

次に、得られた写真をもとに礫の方向を分析します。下図のように、長軸と短軸の日がおおむね1.5:1以上の礫に着目し、長軸の方向に線を記入しました。 

そして、それぞれについて、東西方向の露頭の写真については「長軸の方向に引いた線の東側」が水平方向から「何度上がって、または下がっているか」を分析しました。

南北方向についても同様に「長軸の方向に引いた線の北側」が水平方向からどれだけずれているかを調べました。水平面の露頭では長軸の方向に引いた線の走向を求めました。

分析結果をまとめます。

 

まず、それぞれの結果を10度ごとにグルーピングしたローズダイヤグラムで表し、最も数が多い角度の中間地をその調査地点の代表としました。その結果、下図の結果が得られました。

その結果、例えば調査地点(2)においては礫の向きが、南西方向に傾斜していると推測できました。これと水平面での礫の走向から、下図のように、「この地域のかつての流れは北北東から南南西に向かっていたこと」がわかりました。

他の地点についても同様にデータから古流向を求めることができました。 

地図上の数字は、各地点のデータ及び判明した古流向を地図に当てはめたものです。これにより、当時は概ね「北東から南西方向への流れ」があったことがわかりました。

また、標高が560~600mの地点については東北東から西南西への流れが見られたため、標高550m以下・560~600m・610m以上の3つに分類してそれぞれの地点の礫を分析しました。すると、図のように標高によって礫の種類に違いがあることがわかりました。

見えてきた「流れ」から推測できる当時の地形

最後に、以上の結果から考察をまとめます。

 

まず、岩殿山礫岩層の堆積状況を地層の走向傾斜から推測すると、層理面と並行に近いような低角度に傾斜した堆積状況の地域も存在した可能性があります。また、古流向の変化と礫の種類の構成比の違いから、この地域に堆積した礫は途中で供給源が変わったことが伺えます。

 

そして、本調査地域の西側にも広く岩殿山礫岩層が分布していることから、堆積当時は海が深かったために粘土・シルトが拡散し、砂や礫が堆積することで厚い礫岩層を形成したのではないかと考えました。ゆえに、かつてこの地域の陸地は海に直接臨むような扇状地であったということが推測できました。

 

■研究を始めた理由・経緯は?

 

私たちの学校は山梨県東部の大月市にあります。学校近くの岩殿山を調査しているとき、礫層の中に含まれている礫がある一定の方向に並んでいることに気づき、どのようにして礫が一定方向に並ぶ地質構造が形成されたのか疑問に持ったからです。

 

■今回の研究にかかった時間はどのくらい?

 

調査日数は1日あたり3~4時間で延べ20日間、資料の分析に1日あたり2~3時間で延べ30日間かかりました。調査は平成27年の5月下旬から始めました。

 

 

■今回の研究で苦労したことは?

 

分析に使える露頭を探すのに苦労しました。1ヶ所の露頭で東西、南北、水平方向の写真が撮れる露頭は少なかったからです。そこで、露頭面の走向、水平方向の傾斜について許容範囲を設定して分析を行いました。また、礫一つひとつの分析(角度を測る)作業をすることも苦労しました。

 

■「ココは工夫した!」「ココを見てほしい」という点は?

 

インブリケーションの調査は通常はステレオネットを使ってまとめるようなのですが、「高校生らしい方法を考えて」というアドバイスが顧問の先生からあり、礫の並んでいる向きを3次元的に表現するのに、東西、南北、水平方向から観察することで行ってみようと思いました。

 

■今回の研究にあたって、参考にした本や先行研究

 

岩殿山には「インブリケーションが見られる」といった記述は、研究論文やホームページに記されていましたが、岩殿山のインブリケーションについて詳しく研究をした論文等はありませんでした。

・「岩殿山礫岩層に就いて」 關 武夫 (昭和12年6月25日)

 

■今回の研究は今後も続けていきますか?

 

今回の研究で自分たちがなしえなかったのは、実際の礫層の走向・傾斜の測定です。インブリケーションの研究には地層の走向・傾斜が大切な意味を持ちます。岩殿山の礫層には、地層の境界面が見られず、どの方向に地層が傾斜しているのか今回の調査では観察できませんでした。

 

よって、今回の調査をまとめるにあたって、岩殿山の礫層の走向・傾斜を論文(数は少なくしかも古いものですが)より引用して考察しました。今後、岩殿山の礫層の走向・傾斜について調査ができればと思っています。

 

■ふだんの活動では何をしていますか?

 

研究テーマを1つ決めたらその解決に向けて研究を進めています。特に他の研究と並行させていません。ただ、フィールドワークをしているときに、次の研究ネタを発見することが大切なので、研究テーマから少し外れるような内容でも別のフィールドに赴くようなことはあります。

 

■総文祭に参加して

 

各県の代表の研究はレベルが高く、また新しい研究方法でのアプローチもあり大変参考になりました。多くの地学を志している高校生の前で自分たちの研究を発表できたことはとても良い経験になりました。

 

自分たちの持っている情報を、この情報を知らない人たちに発信できたことは、今後の大学生活にいきる経験だと思っています。また、全国の自然科学の研究を志す仲間と交流できたことはとてもよかったです。参加者すべてと接する機会はありませんでしたが、またいつか別の場面で再会できたらと思いました。

 

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