自分らしく生きて、社会を変える

10年後のじぶん・しゃかい~ポスト3・11の『若者たちの神々』

第1回

安田祐輔 NPO法人キズキ理事長

「つまづいても必ずやり直すことができる」と信じられる場所を作る  ~不登校・高校中退の若者のための大学受験塾を主催


(2) 大学入学、パレスチナとイスラエルの支援、人を支援することとは

パレスチナ問題に興味。パレスチナとイスラエルの平和会議活動に参加

開沼:そこでICUに二浪して入って、まずはどういうふうに動こうと思ったんですか? 

  

安田:まずは中東問題をやりたいと思っていました。僕は浪人時代に11時間くらい本も読んでいましたが、特にサイード()は読んでいて。それでパレスチナに関心が出てきたんです。僕の中でサイードのアイデンティティの考えがしっくりきました。サイードみたいに、色々な国を生きたわけではありませんが、僕の場合は、色んな家族と暮らす中で、自分はどこに所属しているのだろうという孤独感がずっとあったんです。それで、パレスチナ問題に興味がありました。 

 

もう一つは、2年遅れで大学に入ったという焦りもありました。当時は早く社会を変えることをしたくてしかたがなかったので、いわゆる学生のボランティアサークルには興味はありませんでした。NGONPOとかもありましたが、大学1年生ではボランティア扱いだよな、と思って。できるだけ自分の手で、自分ができるところまでやってみたいと強く思っていました。たまたま先輩が、イスラエル人とパレスチナ人を招いて平和会議を主催するという活動を始めたばかりで、それは面白そうだと思って参加しました。先輩たちはすぐ就職してしまったので、大学1年生で代表になりました。 

 

 

イスラエル人とパレスチナ人が泣いて抱き合う姿に感動。しかし限界も感じる

 

開沼:漠然としていた興味を具体的な行動につなげていったわけですね。実際そこに飛び込んでみて、はまった感じはありましたか?

  

安田:はまった感じと違和感の両方がありました。1年生・2年生の時に、長野と新潟と武蔵野市の協力を得て、イスラエル人とパレスチナ人を6人ずつ呼んで、1ヶ月間山奥でずっと議論をしたんです。そして帰りの成田空港で、イスラエル人とパレスチナ人が泣いて抱き合っているんです。向こうに帰ったら、もう会えないからって。人生で一番感動しました。そして、自分でも小さな社会は変えられるんだ、自分はこういうことをずっとやっていきたいと強く思いました。


一方で、フラストレーションもありました。実際、山奥での議論を終え彼らを東京に連れて来たら、「せっかく東京に来たんだからクラブに行って遊びたい」、って言うんです。こっちはお金集めて、支援しているのに何でそういうこというんだって半分くらい思いましたね。ただ、今の活動でもそうですが、支援するうえで、対象者に模範的な振る舞いを求めるのは間違いなんだと思いました。支援することの意味を考えました。

 

また、12人を変えられても社会全体は変えられない、社会を変えるということは、どういうことなんだろうと改めて考えたのもこの時です。

 

開沼:「人を助ける仕事がしたい」または、「社会を変える仕事がしたい」という志向は多くの人が小さい時から持っているのかもしれません。そして、実際にやってみて、たしかに「この規模でやって、これ意味あるのか」という壁にぶつかることも多いでしょうね。そういった面でいい体験ができたわけですね。

 

 

「かわいそう」というイメージを外部が勝手に作ってしまう

 

安田:はい。でもそこで難しいのは、僕らってパレスチナ人とかに勝手に「かわいそう」ってイメージをつけてしまうと思うんです。「彼らは常に助けを求めていて、何かしたいんじゃないか」なんて思ったりして。でもそれは「フクシマ」の問題でも同じだと思うんですが、そこには人間の暮らしがあって、「かわいそうな誰か」ってのを外部の人は勝手に押し付けるんですね。だけれども、実際やってみると、六本木へ行って「クラブ行きたい」とか言いだすわけですよ。今思い返すと、どんなヤツも人間っていうことで、だから四六時中平和を求めているんじゃなくて、彼らなりに、友人がいたり、恋人がいたり、たまには遊んだりする生活の営みがあるんですよね。

 

開沼:本当に人のためになることをする、社会を変えるって、おっしゃるとおり、他者の「生活」とか「日常」に付き合うことなんですよね。「かわいそう」とか、「苦しんでいる」とかいう「非日常」ばかり見ようとしてもうまくいかない。現実はそんなんじゃないわけですから。

 

 

ルーマニアの研究所へ。現地へ行ったことのない平和活動に違和感を感じる

 

安田:その後は、活動を全国紙でも結構取り上げてもらって、テレビでもNHKの「おはよう日本」で特集してもらえて。そうすると、結構講演のお話が来るんですね。その中で、九州大学の心理学の学会に呼ばれました。カール=ロジャーズ()について研究している方に、講師として呼ばれました。それを聴いていた方から、「ルーマニアの研究所で若いやつ求めているから行かない?」って言われて、その時は「社会を変えたいのなら、このままじゃだめなんじゃないか」と思っていていました。そこで「世界と戦ってみよう」と思い、大学を休学してルーマニアに行きました。大学3年生になる直前でした。

 

Carl Ransom Rogers (19021987) アメリカ合衆国の臨床心理学者。アイルランド紛争を人びとの対話によって解決できないかということを考え実践した。

 

しかし、イスラエル人やパレスチナ人とは議論ができる程度には英語が使えたんですが、僕が行ったところはアメリカ人とイギリス人ばかりのところで…。ネイティブの彼らと英語で対等に議論が出来ない時点で「そもそもオレって戦う土俵にも上がれてないじゃん」って思ってしまったんです。それまではノンネイティブと話していたから、気にならなかったのです。それが一つの挫折でした。

 

また、その研究所で世界から平和活動をやっている人たちを集めてワークキャンプをやる機会がありました。僕は、そのお金の調達や、参加者の連絡をとって調整をしていたのですが、そこにパレスチナ人も参加するという話があったのです。でも、パレスチナって国として認められていないので、大使館がないんです。だから、誰かが現地に飛んで、パスポートを持って、違う国の大使館に行って、ビザを取らなければならないんですね。そういう話をアメリカ人にしたら、「そんなことはコストがかかるから無理だ」と言われたんです。そこで僕が感じた違和感というのは、その活動をしているみんなが平和とかを語っていたけど、彼らは一度も、現地に行ったことがないということでした。先ほども言いましたが、彼らはパレスチナの一面しか見ていなかった。現地に行ったこともないのに、平和はこうあるべきだなんて言って、ビザの問題に目を向けてくれさえしないというのが嫌になってしまいました。僕は、そんな経験を通して、まずは、世界で活躍するとかじゃなくて、世界の最底辺の状況にある人たちと一緒に暮らしてみて、その中で彼らが何を考えているのかを分かりたいと思うようになりました。世界で活躍するのはその後でいいんじゃないか、と。

 

 

長期休みのたびにバングラデシュにこもり、外からは見えないものを見る

 

安田もう一つ、これはルーマニアに行く前なんですが、たまたま、休み中にバングラデシュに行く機会があって、その貧しさにびっくりしました。でもみんなすごく人懐っこくて、友達もたくさんできました。当時はお金が全然なかったので、空港からタクシーの運転手に「一番安い宿に行ってくれ」と言ったら、連れて行かれたのが娼館で、セックスワーカーの女の人がたくさんいたんです。そこで毎日誘われるのを断って、という繰り返しでした。その時、「この人たち毎日何を考えているんだろう」ってのがすごく気になったんです。そして、「この人たちと一緒に生活すれば、何か分かることがあるんじゃないか」と思って、長期休みのたびにバングラデシュにこもるということをやりました。当時は写真家か映画監督にも関心があったので、この時に映像を撮りだめしました。まだ完成していないドキュメンタリーがあります。

 

開沼:それは、自分の中にどういう表現意欲がわいたからですか?自分が見てきたものの中には表現されていないものがそこにあったとか?

   

安田:そうですね。外部から見ていろんなことを言うことはできるけれども、その中には多様な人たちがいて、僕らと同じように悩んだり喜んだりしていて、外からでは、それが見えてないんじゃないかと思っていました。それって、引きこもりの子たちを見ていて「なまけものだ」なんて外部の人は言うのと重なる部分があると思います。

   

開沼:本当ですね。世間の常識、通俗的なイメージはしばしば物事を単純化し、一面的な見方を促してしまう。そうではない、実際にそこにある複雑さ・重層性を見ていくことのほうが重要なんですよね。それで、バングラデシュで映像を撮りながら生活していたと。

 

 

孤独で誰にも認められない状態は辛い。だから、人間の尊厳のようなものを守る仕事がしたい

 

安田:そうですね。20086月に卒業だったので、卒業してから結構向こうには行っていました。そして20094月に普通に会社に入りました。

 

バングラデシュでは色々なことを考えました。まず普通のバングラデシュ人はみんな幸せなんです。彼ら自身も自分たちは幸せだと言っていて、それは家族などの血縁関係や友人関係の絆がしっかりしているからだと思います。彼らには、確かにテレビも冷蔵庫もありません。でも、楽しそうに毎日暮らしている。一方、騙されて売られてきたセックスワーカーの人たちは、若くてキレイだとかなりお金を稼げたりするのに、彼女たちは「辛い」「生きている意味が分からない」という。リストカットをしている人もたくさんいました。こんなバングラデシュの現状を見て、人の幸せってお金とかモノとかで成り立っているのではないのではないかっていう、当たり前のことを思ったんです。精神的な豊かさは、物質的な豊かさよりも高次だなと。それに、人間って尊厳みたいなものを守るために生きているんじゃないかなって。孤独で誰にも認められない状態ってすごく辛い。だから、僕はそういう人間の尊厳のようなものを守る仕事がしたいんだな、ってその時はじめて気付きました。

 

その頃は自分の生い立ちを忘れていたんですが、ちょうど秋葉原の通り魔事件があって、考え込みました。あのまま自分が大学受験で頑張らなかったら、あのようになっていたのではないかと。また、リーマンショックの後は、派遣切りにあった方々の炊き出しのボランティアに行ったことがありました。そこでは、僕と同世代みたいな人が並んでいました。

 

その経験から、問題はバングラデシュだろうが、日本だろうが変わらないんだろうと感じるようになりました。みんな孤独で、自分を認めてくれる人がいない。そして、自分も10代の時にそうだった。日本だって、バングラデシュのセックスワーカーだって同じなんだ、それを支援したいんだなって思ったんです。

 

第1回 安田祐輔 NPO法人キズキ理事長

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