自分らしく生きて、社会を変える

10年後のじぶん・しゃかい~ポスト3・11の『若者たちの神々』

第1回

安田祐輔 NPO法人キズキ理事長

「つまづいても必ずやり直すことができる」と信じられる場所を作る  ~不登校・高校中退の若者のための大学受験塾を主催


(3) 就職と再度の挫折を経て気づいた、本当にやりたいこと

社会問題に興味があったが手段が分からず、商社に就職

開沼:ところが、就職されたわけですよね。

 

安田:そうなんです。当時は、結局自分が何をしたいのか自分でも分からなかったんです。もちろん、今話したような思いはありましたが、今のようにうまく言語化できなかった。そういう社会問題に興味はあったんですが、手段がわからなくて、ましてや起業という選択肢は当時の自分にはなかったのです。

 

さらに家族に頼れないので、お金の問題もあり、取りあえず就職するしかないかな、と。さらに就職したい企業が特になかったのでとりあえず外資系のコンサルティング会社に受かったりはしましたが、時給に換算すると商社のほうが高いな、みたいな選び方をしていました。また、途上国に少しでも関われるのは、外資コンサルよりも商社かなって。

  

開沼:なるほど。それで、商社ではどういう仕事をしていたんですか?

 

安田:アフリカの油田の利権に投資するという仕事ですね。それで会社勤めをしていたのですが、自分を見失ってしまい半年くらいで会社に行けなくなったんです。

 

開沼:それは、人間関係の影響ですか?

 

安田:いや、特にそういったわけではないんです。でも、何かいま一つ会社と合わなくって、自分が大切にしたいことってなんだろうということを考えていました。その時に、僕が仕事に求めることが三つあるということに気付きました。

 

開沼:ほう。それはどんなことですか?

 

 

「自由がほしい」「自分のちからを発揮したい」「正しいことがしたい」


安田:これは笑い話じゃないんですが、僕は足が蒸れやすいので、夏に靴が履けないんですよ。会社に入ったら生まれてはじめて水虫になりました(笑)。それと満員電車が本当に苦手で、ダメなんです。だから生き方として自由がほしいというのが一つありました。実際出社を1時間遅らせたって、別にそんなにロスすることってないじゃないですか。それと内勤だったので、別にスーツ着なくてもよかったんです。だけど、日本の大企業なので、そうもいかなくて。これが一つ目。

 

二つ目は、自分の力がもっと発揮できることがしたいということがありました。エクセルで投資の管理とかの仕事をしていたんですけど、向いてないんですよ。同じ部門に同僚が3人いて、2人が東工大でもう一人が東大でみんな理系なんです。明らかに自分が向いていないことは分かっているんです。そうじゃないところでなら勝負できるのに…って思っていて。例えば「今から海外行って何か売って来い」って言われたら絶対に勝つ自信あるのに。どうしてこう苦手な事やらなきゃいけないんだろうって思っていましたね。

 

そして最後の三つ目が一番大事で、僕は絶対に正しいことがしたいんだってことがありました。具体的に言うと、例えば、日本の企業は規模が小さいのでそれほど影響はないのですが、アフリカで油田を買うと、利権を持っている一部の人が儲かって、物価ががっと上がるんです。例えば、アンゴラの首都のルアンダというところでは物価が日本よりも高いぐらいで、でも一日2ドル未満で暮らしている人が9割いるんです。「それについてどう思いますか?」って10年くらい働いている人に聞いた時、「そんなこと知らなかった」って答えられて、僕はこの人たちと働けないなと思ったんです。もちろん、不透明な社会で絶対的に正しいなんてものはないと思うんですが、「何が正しいのか」ということを考えた上で、仕事をしたいと思っていました。

 

 

半年の引きこもり期間を経て、自分のやりたいことが言語化できるようになる

 

開沼:それで入社半年経って会社に行けなくなって、その後はどうしたんですか?

 

安田:はじめは貯金を食いつぶして、半年くらい引きこもっていたんです。夕方起きて、コンビニに行って、だいたいマンガの立ち読みして、適当にお菓子とコーラ買って、家に帰って、ゲームして。あの時にドラクエを全部クリアしましたよ(笑)。周りもみんな働いていて誰も遊んでくれないので、ずっと引きこもっていました。あれは廃人でしたね(笑)。

 

開沼:なるほど。でも、それは次のステップが見えていたからじゃないですか?

 

安田:いや、見えていないんですよ。今はこんなふうに言語化できて、バングラデシュの経験とかも相対化できているんですが、当時は具体的な行動まで見えていなかったです。良かったのか悪かったのか、実家に帰るという選択肢もなかったし、「このままじゃまずいな」って思っていました。だから、たまに喫茶店に行ってノートに自分が何やりたいか書いていたんです。そうしたら今みたいにだんだん言語化できるようになってきました。

 

そんな中で、自分は、社会から外れていて尊厳を失っている人たちの支援がしたい、それにはまずは日本からはじめたほうがいいんじゃないかと思ってきました。2年前の夏頃です。先ほどお話した3つのこと、「自由がほしい」「自分のちからを発揮したい」「正しいことがしたい」それを満たすには、自分でやるしかなかったんですよ。そこでビジネスコンテストに応募したら、選ばれてお金がついて、この「キズキ」を始めた。それで生活が出来るようになって、今にいたる感じです。

 

開沼:商社では、何かやったら辞めるという目標設定を当初からしていたんですか?

 

安田:ありました。商社に入ったのはとりあえずの選択肢だったので、初めから3年でやめるつもりでした。3年以内に、実力をつけて自分のやるべきことを見つけたいと思っていました。でも商社って3年でも下働きして終わりなんですよね。何億円単位の案件を扱うには10年くらい働かなくてはならなくて、本当に単純労働なので、3年やったら逆に元気がなくなるだろうとやりながら感じました。

 

第1回 安田祐輔 NPO法人キズキ理事長

「つまづいても必ずやり直すことができる」と信じられる場所を作る  

~不登校・高校中退の若者のための大学受験塾を主催

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