新妻聖子さんの出演作品解説

新妻聖子さんの魅力―無限の可能性を持つ舞台人―

河合塾 海外帰国生コース講師 余吾育信

新妻聖子さんは、今の日本の演劇界で最も注目されている舞台人です。


舞台俳優は、テレビなどのマスメディアへの露出が少ないので、AKBなどよりは知名度は低めですが、観客は自分で入場料を払って見に来る分、ひじょうに厳しい目で見ます。しかも、毎日別の人が見に来るからには、その日初めてそこで演じられるかのように見えなければいけない。毎日が真剣勝負。


20代の初めから今日まで、その厳しい舞台に立ち続けている彼女の感じるプレッシャーは、如何(いかん)ばかりでしょうか。しかし、多くの舞台人がそうであるように、彼女も観客の視線をプレッシャーと感じるよりも、むしろ大きな力を得るタイプなのでしょう。

 

新妻さんは、2003年に有名なミュージカル『レ・ミゼラブル』のオーディションに合格、デビューしました。原作はフランスの作家ヴィクトル・ユーゴー、ナポレオン帝政後の混乱する19世紀前半のパリが舞台です。1830年のフランス7月革命(ドラクロワの絵画『民衆を導く自由の女神』で有名)が背景として巧みに取り入れられており、この時期のフランス市民の有り様を学ぶには格好のテキストです。彼女が抜擢されたお役・エポニーヌは、ボーイッシュな少女で、革命を志すイケメン、マリウスに恋をします。しかし彼は主人公ジャン・バルジャンの養女コゼットを愛しており、素直に恋心を表すことができない彼女の心の揺れは、多くの女性客の共感を得るところでしょう。ままならない思いを歌う「On My Own」が聴かせどころです。

 

「ミス・サイゴン」より (写真提供 東宝演劇部)
「ミス・サイゴン」より (写真提供 東宝演劇部)

『レ・ミゼラブル』での好演が評価された新妻さんは、翌2004年に『ミス・サイゴン』の主役・キムに抜擢され、ミュージカル俳優としての評価を決定的にします。
『ミス・サイゴン』の背景にあるのは、ベトナム戦争(※)。1975年、共産勢力により陥落寸前の南ベトナムの首都サイゴン(現在はホーチミン)から舞台は幕を開け、巨大な米軍のヘリコプターが登場、自分の国の都合で無理やり戦争をしかけたアメリカ軍に、ベトナム人は激しく反発します。そんな中でベトナム女性とアメリカ兵との悲恋が、美しい音楽と共に描かれます。


舞台人としてはやや小柄な新妻さんですが、その個性が可憐なベトナム女性の役作りに活かされ、また、ベトナム人とアメリカ人との国境を越えた複雑な感情、戦争の悲劇は、タイのバンコクで生活し、帰国子女として文化や習慣・価値観を越えた人と人とのつながりを感じた彼女だからこそ、「これは私の役だ!」という強い思いとなり、歌声と演技にしっかりと反映され、特別な評価に繋がっていきました。最愛の我が子をアメリカの元恋人の許に送り出し、自らは死を選ぶ終幕の作中歌「命をあげよう」の熱唱は、一度見たら忘れられない強い印象を受け、昨年2012年の再演ではさらに深い思いが宿っていました。

 

音域も広く、声にパワーがあり、演技力もある。これほど兼ね備わった女優は、なかなかいません。「私の声は、私だけの楽器」インタヴューの終わり近くでおっしゃった、この言葉が印象深く、また、『レ・ミゼラブル』での人物ならば、革命家アンジョルラスが自分の性格に一番近いという発言も、ピシっと背骨の通った彼女らしい魅力に通じるものがあります。


ご本人は、歌のないストレートプレイもあくまで「歌」のため、とおっしゃっていますが、2005年上演の三島由紀夫作『サド公爵夫人』(演出、岸田良二)での、元宝塚トップスター剣幸とのめくるめく言葉の饗宴も、また見てみたい。


歌もお芝居も何でもできる彼女の良さは、未だ完全には発揮されていないかもしれない。そのオールラウンドな魅力を本当に活かしきる作品、演出家に巡り会えた時にこそ、彼女の底知れない真価が本当に発揮される。そのくらい豊かな可能性のある舞台人だと思います。

 
 

 

※ベトナム戦争
19世紀半ばからフランスの植民地だったベトナムは、共産党などによる独立戦争の結果、1954年に北緯17度線の北側が独立するが、南側にはアジアの共産化を防ぐ目的で介入したアメリカの傀儡政権が残った。1960年代の東西冷戦でアメリカは軍事介入を強化、タイや韓国からも多数の兵士が動員され沖縄米軍基地からも爆撃機が参戦するが、1975年に南ベトナムの首都サイゴンが北側の猛攻で陥落、米軍は撤退し、南北ベトナムは統一された。

わくわくキャッチ!
今こそ学問の話をしよう
河合塾
ポスト3.11 変わる学問
キミのミライ発見
わかる!学問 環境・バイオの最前線
学問前線
学問の達人
14歳と17歳のガイド
社会人基礎力 育成の手引き
社会人基礎力の育成と評価