スピーチコンクール特賞で世界の大都市ニューヨークへ
~国連本部での研修レポート

上田 明(めい)さん 岡山白陵高等学校(当時)※現在は津田塾大学2年

vol.5 高3に突然やってきた「津田塾大学」とコンクール参加

コンクール特賞でニューヨークに行くことになった4人。一番左が上田明さん。
コンクール特賞でニューヨークに行くことになった4人。一番左が上田明さん。

親に告げずにコンクールに応募

高校3年生の夏休みのあるとき、ネットで高校生の主張コンクールの存在を知った私は、「国連と自分が関わることなんて、もう一生の内にないかもしれない」とふと思い立ち、応募を決めました。しかし応募することを親に告げなかったのと、準備の時間があまり取れなかったこともあり、ほぼ即席で作った主張文をCDに吹き込み応募することとなりました。


その1ヶ月後、我が家に一通の通知書が届き、今回のコンクールの兵庫県代表になったことを知りました。全国大会は東京で行われることもあり、もう親に言わないわけにはいかないと、親に事情を説明しました。担任の先生にもコンクールの存在を話し、無事全国大会に挑むことが決まりました。

 

私にぴったりと勧めてくれた大学

一方、私は進学先をなかなか決められないまま秋を迎えていました。そんな時、担任の先生との面談で出てきたのが「津田塾大学」でした。しかしその当時の私は経営学部や商学部に進みたいと考えており、正直お話を受けたときは「大学に学部が1つしかない…?」、「英文科ということは4年間英語だけを学ぶの…?」など、想像のつかない大学生活に不安だけを感じたことをよく覚えています。


そんな私がどうして今、津田塾大学で勉強しているのか。そのきっかけは、担任の先生とのお話の中にありました。私は中学・高校と図書部や新聞部に属する、いわゆる「地味」な部類の生徒として生活を送っていました。しかし私の担任の先生は、私の文章を事あるごとに褒めてくださり、そんな私の雰囲気にぴったりなのが「津田塾大学」だとお勧めくださいました。


そう言われたときから、これまで全く想像していなかった進路だった津田塾大学学芸学部英文学科という道に少しずつ興味を持つようになりました。親元を離れての東京生活というのにも、多少の不安と共にどこか胸踊らせている自分がいました。

それから先生ともお話を重ね、両親とも話し合った結果、津田塾大学英文科に進学することを決意しました。

 

負けん気で結果を得た

スピーチ中の上田さん
スピーチ中の上田さん

全国大会出場が決まってからは担任の先生、さらには別の学年の先生にもアドバイスをいただきながら、自宅で国連の働きなどを調べ、発表原稿の推敲を重ねていきました。先生方から教えていただいたことも参考に、自分の意見を盛り込んでの主張文となりました。

このコンクールに参加したきっかけはほんの些細な私の興味でした。国連という機関の役割もろくに知らずに参加していたので、私より下の学年の子たちの方が私よりも余程きちんと予習をしてから臨んだのではないかと思います。

しかし参加するからには何かしらの結果を残したいと思いましたし、たとえ原稿を暗記していなくとも、伝え方1つで聴衆の心は掴めると信じて挑みました。今回私がニューヨーク研修に行けることになったのは、この最後の負けん気のようなものが結果的に良い方向に向いたからではなかったかと思っています。


第62回(平成27年度) 国際理解・国際協力のための高校生の主張コンクール
~ 特賞受賞者は明年春休みに米国ニューヨーク国連本部へ視察研修へ派遣! ~
※応募締切りは、平成27年9月4日(金)必着

詳しくはこちらから


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