2019さが総文

古文書の記録から、『君の名は。』の聖地で起きた大地震の真相に迫る

【地学】岐阜県立斐太高校

左から 田井祐也くん、谷口大修くん、熊澤駿佑くん、水小瀬 京くん
左から 田井祐也くん、谷口大修くん、熊澤駿佑くん、水小瀬 京くん

■部員数 9人(うち1年生1人・2年生5人・3年生3人)

■答えてくれた人 水小瀬 京くん、熊澤駿佑くん、谷口大修くん

 

安政五年飛越地震の再検証 ~高山陣屋文書を科学する~

古文書に残された大地震の爪痕

私たちは、江戸時代に起きた飛越地震を再検証するというテーマで研究をしてきました。今回の研究では、高山市にある高山陣屋から、飛越地震に関する文書『飛州村々地震一件』や、『吉城郡村々震災損木取調一件』などの古文書のデータを提供していただき、そこから被害率や死傷者率、損木数、山崩れ面積などを求めて、飛越地震の揺れがどのようなものであったか、震央はどこであったのかなどについて再検証しました。

 


飛越地震は、江戸時代末期の安政5年(1858年)に起きた地震で、岐阜県北部に位置する跡津川断層の活動が原因であると言われています。跡津川断層上には、京都大学の観測施設(飛騨天文台)や、映画『君の名は。』の聖地となったバス停もあります。

 

 

今回古文書を提供してくださった高山陣屋には、歴史的な価値のある古文書が約2万点もあります。今回使用した飛越地震についての記述がある古文書は下図に挙げたようなもので、そこからは村ごとの家の数と倒壊数、全壊数・半壊数、村ごとの人口と死者・負傷者数、さらに被害を受けた樹木の種類やその太さ、数、および雑木山の山崩れ箇所の縦横の長さなどのデータが得られました。

 

今回分析したデータは、被害率、死傷者率、損木数、山崩れ面積の四つです。被害率は倒壊した家屋の割合のことで、過去に宇佐美龍夫氏が論文で取り上げていました。死傷者率は、過去に小松原琢氏が論文で取り上げていました。この二つのデータに関しては、私たちが分析した結果と彼らの分析した結果も比較を行いました。

 


重要産物だからこその詳細な記録=損木数と山崩面積に注目

今回私たちが独自に分析したデータは、損木数と山崩面積です。先ほどの被害率や負傷者率は、人があまり住んでいない所では、地震の被害の大きさを測るのにあまり適していないのに対して、損木数や山崩面積は、そのような所でも地震の被害の大きさを測れると思ったからです。各値の計算式については、下図をご覧ください。

 

 

損木数とは、主に建材に用いられるヒノキやケヤキやスギなどの倒れた本数で、山崩面積とは、雑木山の崩れた箇所の面積です。樹木は、その当時の人たちにとっては生活のためになくてはならない存在であり、かなり細かいデータが記録されていました。

 

下図は、被害率の大きさを円の面積で表して地図上に載せたものです。これを見ると、跡津川断層沿いの1.5㎞以内の所に被害率50%以上の所が多く、そこから離れると急激に小さくなっていくという結果になりました。これは、宇佐美氏の論文とおおむね一致し、データの信憑性があると考えられます。

 

 

死傷者率からは見えて来ない、揺れの大きさが明らかに

下図は、死傷者率を円の面積で表して地図上に載せたものです。これは、小松原氏の論文と一致しなかった点がありました。小松原氏は、山崩れによる死傷者を省いていましたが、私たちはそれを入れていたため、このような違いがあったと考えられます。小松原氏は、断層の西側に震源があると予想していました。

 

 

下図は、損木数を円の面積で表して地図上に載せたものです。これを見ると、漆山、割石、鹿間、金木戸、跡津川など断層の東側に被害が多いことがわかります。このことから、東側の表層が大きく崩れた可能性があり、東側の震度が大きかったのではないかと推測しました。

 

 

山崩れ面積は下図のようになっており、漆山、割石の被害が大きかったことを示します。この結果から、断層の東側が特に大きく揺れたのではないかという推測ができました。今回私たちが独自に使用した山崩れ面積や損木数からは、断層の東側が特に大きく揺れたという推測ができました。

 

 

現地調査で断層や隆起を確認

被害が大きかった漆山のポイントに行ってきました。今の漆山はこのようになっており、跡津川断層はこの尾根の向こう側を通っています。川の流れを見てみると、矢印のように曲がっていて、右ずれ断層であることがわかります。

 

 

またこのポイントでは、現在も山崩れが起こっていることがわかり、斜面が急であったこともあり、隆起量が大きかったのではないかと考えました。

 

 

また、跡津川のポイントにも行ってきました。土(ど)(地名)は断層の近くで、断層によってずれて河川が「く」の字に90°曲がっています。そのずれは約3kmにもおよびます。

 

 

これらから見つかった新たな課題が下図です。まず、断層の東側の損木数や山崩れの値が大きいことから東側が大きく揺れたと推測するには、西側と東側に地層の違いがなかったことを示さなければならなりません。

 

二番目に、断層から遠い所で損木数が多いのはなぜかということ。

 

三番目は、漆山付近で山崩れ面積が大きいことから、漆山付近に地震動が大きかった秘密があるのかというところです。

 


地表の違いについては、地質図で表層地質を調べました。すると、西側も東側も同じ飛騨変成岩類でした。

 

次に、土壌表面の違いを調べるために、植林の様子を調べました。使用したデータは、神岡町等の資料です。すると、地震の起きる1年から5年ほど前に、図で青く塗った各地にスギやヒノキの植林がありました。このことは、山崩れ面積や損木数に何か関係はあるのでしょうか。

 

 

四手井氏と樫山氏の論文には、植林して10年未満の場所が山崩れが多いと書いてありました。よって、地震の前に植林した土地は山崩れが起こりやすかった可能性があります。

 

しかし、植林した土地と山崩れの土地を照合した結果、東側も西側も同じように植林されていました。しかし、東側に山崩れが多く、西側には山崩れが少ないことから、震度が大きかったのは、山崩れが多い東側だったと推測されます。

 

 

次に、断層から遠い所で損木数が多かった理由は、そこが急斜面であったからではないかと考え、傾斜を調べました。使用したのは、国土地理院の数値地図50mメッシュ(標高)データです。このデータに入れた法線ベクトルを使って、傾きの角度を計算しました。

 

 

その結果がこちらです。赤い部分は傾きが急で、緑の部分はなだらかであることを示しています。この結果から、断層沿いの斜面は急であることがわかりましたが、漆山付近は、特に傾きが急で隆起が激しいことが推測されました。また、損木数が多い鹿間、金木戸も傾斜が急であったことがわかります。

 

 

損木数や山崩れが多かった漆山付近の秘密を、現在の跡津川断層沿いの微小地震の分布により調べました。これには、京都大学防災研究所の震源データを使いました。すると、漆山付近では、現在地震が少ないことがわかりました。この結果から、安政の地震でひずみエネルギーのほとんどが解放された可能性があると推測しました。これらのことから、安政の飛越地震の震源はこの辺ではないかと考えています。

 

 

研究の結論です。

 

私たちのオリジナルデータの損木数、山崩れ面積から、跡津川断層の東側の震度が大きかったと推測できました。

 

 

今後の展望では、他の断層についても同様に調べられる断層はないか、他の古文書の情報を集め、同様の手法を試したいと考えています。

 

古文書は過去を知り得る貴重なデータなので、これを使って過去の地震や気候などを調べたいと思います。高山陣屋の皆さまには、研究に必要な古文書の情報や資料も提供していただきました。ありがとうございました。

 

■研究を始めた理由・経緯は?

 

私たち科学部は、これまでも高山陣屋の協力で貴重な古文書データを提供していただき、研究を進めてきました(平成24年度:古日記の天気データから当時の気温を推測する研究,平成29年度:郡代の日記に記載のあった気温のデータから当時の温度計を検証する研究)。今回平成30年度は、先行研究でも使われていた「飛州村々地震一件」などの古文書を提供していただき、そのデータを手がかりに、地元の飛騨で過去に起こった大地震を調べることにしました。

 

■今回の研究にかかった時間はどのくらい?

 

1週間に10時間で12か月くらいです。

 

■今回の研究で苦労したことは?

 

古文書の被害データから、分析しやすい数値のデジタルデータとすること。古文書の過去の地名を、古地図や現在の地名の字名などから一致させ、地図上の場所を推定したこと。古文書のデータから推測された地震の揺れについて、その推測が正しいものかどうかを言うための考察にも苦労しました。

 

■「ココは工夫した!」「ココを見てほしい」という点は?

 

古文書から得た「損木数」と「山崩面積」を用いて、安政飛越地震を考察する先行研究は今までありませんでした。これまで、先行研究で言われていた震央よりも東側の揺れが大きいと推測できる結果が出たことを見てほしいです。

 

■今回の研究にあたって、参考にした本や先行研究

 

・「ひだ・みの活断層を訪ねて」岐阜県活断層研究会編(岐阜新聞社(2008))

「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書(平成20年3月)1858飛越地震」内閣府

・「大地震-古記録に学ぶ」宇佐美龍夫(そしえて(1978))

・「飛越地震(安政5年2月26日)と跡津川断層」宇佐美龍夫,松田時彦.(日本地震学会講演予稿集,1979)

・「[報告]歴史地震の震度について」宇佐美龍夫(歴史地震,第32号,2017)

・「[論説]死傷者率にもとづく内陸地震の震央の推定-安政五年(1858年)飛越地震の事例-」小松原琢(歴史地震,第31号,2016)

・「飛州村々地震一件」岐阜県歴史資料館所蔵,高山陣屋文書

・「高山陣屋文書を科学する 安政五午年 飛騨地震」下畑五夫(岐阜県博物館特別企画)

国立古文書館デジタルアーカイブ.重要文化財(国絵図等),天保国絵図,飛騨国

国土交通省.国土地理院(電子国土Web)

・国土交通省.国土地理院 数値地図50mメッシュ(標高)

 

■今回の研究は今後も続けていきますか?

 

郷土飛騨の自然現象をテーマとして、様々な手法を用いて、今後も研究を続けていきたいと思います。その手法の一つとして、古文書を用いた分析についても考えていきたいです。令和元年度は、高山の夏はなぜ暑いと感じるようになったのかについて研究しました。

 

■総文祭に参加して

 

全国の自然科学系の部活動の研究発表を見て、様々なテーマや研究の方法があることを知り、地元の自然を見る視点を広げることができました。同時に高校生の研究が高いレベルのものがあることを知り、刺激を受け、研究に対する意欲が前より大きくなりました。

 

交流会では、ニホニウム発見の講話を聞いて、さらに研究に興味をひかれました。そして、私も研究者の道を歩みたいと思いました。また、他県の科学部も部員集めに苦労していることがわかりました。巡検では、特殊な形状に進化したワラスボの現物を見て、干潟で独自に進化した姿だと思い、地域特有の自然の様子に感動しました。

 

※斐太高校の発表は、地学部門の優秀賞を受賞しました。

 

⇒他の高校の研究もみてみよう

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